ラグビーワールドカップが昨日、南アフリカ共和国の優勝で幕を閉じた。
途中、台風のせいで中止になった試合もあり、その割を食った代表チームもあったけれども、おおむね好評だったのではないかと思います。
2015年の五郎丸選手や南アフリカ共和国への奇跡の大逆転で関心を持ったものの、当時はニワカでニュースを見ていたぐらいでした。
しかし今回は時差なく見られる日本大会、そして日本も予選リーグは全勝!などというお祭り騒ぎにのっかって楽しんでみておりました。
さらに9月上旬から各国の代表チームが日本でのキャンプに入ったあたりから、全国各地で歓迎のセレモニーをやっていることがニュースになっていました。柏市の小学生によるHAKAなんかは気合が入っていて感動したものです。
そればかりか、実際にワールドカップの試合が始まると、対戦国両方の国歌斉唱を日本人も参加しようという動きがありました。
どこがはじめたのかまでは調べてないのですが、試合が始まる前の9月16日には、出場各国の国歌を歌いましょうというラグビー協会の公式サイトもできているので、全体としてそういう歓迎をしようとしていたものと思います。
この参加国の国歌のサイトは気合が入っていて、どの国の国歌も同じ二人の歌手が歌っていますし、歌詞カードのリンクまである。
素人が応援として歌うときに、自分でも歌えそうという感じに録音しているのも、誰に向けて作ったものかが明らかかと思います。
このような姿勢は結果として、全国どこでも歓迎の姿勢につながり、各国の代表チームはもちろん、各国から応援に駆けつけたファンの皆さんや、偶然日本にいた旅行者の皆さんに喜んでいただくことができました。
中でも、公式練習初日のスタジアムになんと15,000人もやってきて全員でウェールズ国歌を歌って歓迎した北九州はその後も徹底したウェールズの応援を続け、準決勝で負けてしまって4位に終ったものの、代表チームから厚いお礼が述べられていました。
これを見ると北九州市の皆さんのウェールズの応援っぷりの気合の入れ方は半端ではありません。国歌だけでは足りずにラグビー代表チームの応援歌である「Calon Lan」まで歌詞も見ずに歌っています。
そこまでした結果、どうなったか?
この記事の中に、こんな言葉があります。
Roger Phillips
最高だ。ウェールズの人間であることに誇りを感じる。
日本でウェールズのラグビーチームへの歓迎を見て、ウェールズの人が「ウェールズの人間であること」を誇りに思う。
これを見て思い出したフレーズがあります。
英語で 「I am what I am.」という表現があって、英語の意味を素直にとると、こちらにあるように「私は私なの」です。
実はこれは聖書の出エジプト記において神がモーセに語ったとされる「私はあってあるもの」という謎な言い回しの英語の表現そのものです。
神さまがおっしゃるときは別な意味合いがあるのでしょうが、人間が話す場合は、見たままの私が私とか、これが正真正銘の私、これ以上でもこれ以下でもないとか、いろんな解釈はありえると思いますが、要するにありのままの自分であることを肯定した表現なんだろうなと。
言い換えれば、「I am proud of myself.」自分の事が誇らしい、ともいえるんじゃないかな。
それをスポーツの応援を通して、遠くウェールズの人間をして「ウェールズ人であることを誇り」に思っていただけるというのは素晴らしいことだと思うのですよ。
そして、そういう風に「ウェールズの人をウェールズ人として」歓迎し、「ウェールズ人として誇りに思ってもらえる」ようにした結果、次のように感じる人がいるのは自然の摂理ではないでしょうか。
Dominique
(中略)
月曜日には帰りの飛行機に乗らなければならないが、もうすでに再訪するための別の旅行計画を組む気になってしまっている。
今回、日本がやったのは、君が代を押し付けることではなく、彼等が愛する国を尊重し、彼らを受け入れ、彼らの愛するものを愛することだった。
かつて、日本は隣の国と一緒にサッカーのワールドカップ大会も共催したことがあるが、その時、韓国で試合をした国がどう思っているか。
韓国人は今回の出来事で激昂しているが、イタリアやポルトガル人が韓国に対してどう思っているか、2002年のときのことを知っている人なら、韓国の自業自得としか思えないだろう。
韓国は、嫌でも付き合わないといけない国、日本だとか、文化的に近い兄弟の国などと気持ち悪いことを言ったりしますが、どう考えても違いますよね。
価値観も違えば、何もかもが違う。
近くて遠い国という表現そのままです。そして、近くて遠い国のままでいてもらって構わない。
もう二度と近づかないでもらいたいと思います。