「帰って来い」と呼びかけている人の書く文章を読んで、帰りたいと思うか?
あれを見ては、「これじゃあ話にならんな」と思うけど、「帰ってみても良いかな」などとは微塵も思わないんですが、あの人が一生懸命にやっている事は何か意味があることなのでしょうか?
反対派やお休み中の人も帰って来いと言うなら、反対派やお休み中の人が帰ってきたくなるような内容がないと帰るわけがない。
それどころか言っちゃ悪いけど、ひろなおのグローブをこんなに必死になって否定する態度を見れば、「これでは帰ってもこんな事を言われるのだろうな」と思うでしょ?
そう感じた人が戻ってみようかと考える理由や動機を生じさせるものが何か存在しているでしょうか?
というかさ、反対派やお休み中の人たちは、何で反対したりお休みしていると思っているわけ?
その原因が何なのか把握しているとは思えないし、それらの原因が合理的なものであるなら改善するような取り組みをしているようにも見えない。
(原因を把握してもいないのに、改善策なんか出せるわけがない)
「帰って来い」の人だけじゃないけどね。
なんで反対するのか?なんで止めたのか?躓いただけなのか?
サタンに入られた?いったいどこから、どうやって、そもそもサタンって何?
人に躓いた?誰に、なんで、どういう理由で、その躓かせた人に問題はなかったのか確認したのか?問題を受け止める側の問題だけなのか?
献金要求が厳しいのでついていけなかった?そもそも献金は何のために、どれだけ必要で、その人に献金させるときに言っていた内容はきちんと守られているのか?
原理を理解できなかった?その人が主張する原理の間違いって何?それは本当に単純な個人の理解不足に帰着するのか?
その理解のさせ方を正しくするために工夫は必要ないのか?
などなど、本質的な問題(UCは何のために何をするのか)をさておいて、とりあえず目につく現象だけを取り上げたって、無数に疑問がおきるしそれらの答えをもとめて必死になってもおかしくないと思うが、UC現役信者の皆さんはそういう問題から目を背けておいて、いったいこの世の何をどうしようと言うのだろう?
愛して許してとか呟いているが、そもそも君等が許すとは何を許すのか?
現象としておきる個別の問題から本質的な存在自体に関わる問題まで、ありとあらゆる謎や疑問について、君達が真理であると主張する原理だのみ言で問題を実際に整理していかないといけないわけだ。
「真理」なんだよ?
「原理は全てを解明しているわけではない」とか「まだお父様が語っておられない部分がある」なんておためごかしで逃げていないで、今手元にある「70%の真理」でも答えを出してより良い結果が出せるように努力すべきなのではないのか?
それなのに、問題がおきたら「摂理だから仕方ない」とか「サタンに入られた」とか、馬鹿の三つ覚えみたいな言い訳の台詞でお茶を濁して、何の問題も解決できない理論なんか真理と呼んで良いのか?
真理の名が泣くだろうよ。
あいつはこう言った、ああ言った、命令に従わない、反対する奴はサタンだなんて、これまでの堕落人間の歴史と同じ台詞を繰り返すだけで、何の進展も見られない君達の姿を通じて、「この人たちこそ、神の選民」とか「この人たちなら、堕落の歴史を終わらせられるかもしれない」などと思う人がいるだろうか?
何回も言いますが、君達にはそんな問題解決能力はないし、能力がないどころか、そもそも問題を解決しようともしていない。
いや、問題を解決しようの前に、問題があることすら認識もできていないのだから、解決しようとも思っていない。
こんな人たちが集まって、地上天国ができますかと。
この問いに直ぐにでも回答が出来るくらいなら(できたとしてですが)、やめてしまう人は減るだろうし、こんな社会的にも存在が疑問視されるような存在にまで落ちぶれていなかったでしょう。
帰って来いなどと呼びかける前に、まずは自分達の姿を直視して、やるべきことがたくさんあると思いますが。
ああ、最近は帰って来いという人が「出て行け」に宗旨替えしたようですから、どうでも良かったのですかね。
これは失礼しました。