愛のクレームが云々とか言っている人がいる。
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クレームをつける側に愛があろうがなかろうが、それを真摯に受け止めるのは提供者の側。
普通はそれを組織として受けるものだが、宗教組織であるUCは個人がブログを開設してUCのスポークスマンみたいな顔をして出てくるから、批判の矢面に立たされて訳が分からなくなっている部分もあるだけのこと。
そもそも今、反対派や元信者がUCに対してつけるクレームのどれが愛あるものなのかどうか、どうやって判断できるのだよ?
悪意に満ちてようが善意に基づくものだろうが、一つ一つ誠実に向かい合っていくことで、善意に基づくクレームをつけるひとがやがて賛同者になってくれるとか、クレームを改善することで、今までは距離を置いていた人が近づいてきてくれるとか、そうやって一つ一つ自分達の行動をよりよいものにしていくのでしょう?
これはUCだろうがなんだろうが関係無しに、世の中におけるありとあらゆる存在が普遍的に行くべき道。
それができなくなった存在は、文字通り淘汰され滅びていく。
なんでUCの人はクレームを付ける側にも動機の善なることを要求するかのような文章を書けるのか、私には不思議でしょうがない。
まして、ブログ村で「愛をもって」クレームを付けてくれる人たちを排除するなんて、論外なんてものじゃない。
「愛をもってクレームをつける」なんて言う表現に反発を覚える人もいるだろうけれども、普通の人、一般の人なんて、UCのどこが悪いかなんてことをいちいち教えてくれるようなそんな労力をさく事すらしませんよ。
「ああ、UC?あの血分け教団か?」「霊感商法の危ない団体でしょ?」「韓国に拉致されるんだって?」とか、君らが悔しくてその場で弁明したくなるような事を心のそこで思ったまま、何も言わずに距離を置くだけのことです。
こんなにも熱心に、UCのどこが悪いのかを教えてくれるありがたい人たちを、感情的になって排除するとかサタン呼ばわりするとは、狂気の沙汰としか思えません。
こんな理屈が通じるなら、もうとっくの昔に社会に定着しているのでしょうけどね。
このままでは4000万年たっても無理そうですね。