毎度おなじみUCのブログ村。
ジョリュジュさんだっけか?
彼ってもしかして、昔、原理講論を何百回と読んだことを誇ってた人なのかな?
タイトルに書いた内容は、ジョリュジュさんだけに限らず、「だれそれの原理やみ言の理解は間違い/不足」とかいう記事を書く人に向けたものですね。
そういう議論を傍から見ていると、かつてイエス様が非難した律法学者やパリサイ人っていうのは、今なら彼らみたいな感じなのかなとか思ってみたりする。
そんな自分の原理理解が正しくて、だれそれのは間違っているなんてことを一生懸命に書いて何かよいことでもあるのかな?
もし私が今でも教会に籍をおいており、もし仮にジョリュジュ氏と同じように、食口の原理やみ言の理解に問題があると考えていたとしたら、こんなブログ村で自己満足に浸っているだろうか?
そういう間違った理解をしている食口を育ててしまった教会の教育体制の問題やら、教会長の信仰指導のあり方やら、ありとあらゆる方面に取り組むべき内容が膨大にあると考えて、とてもじゃないけど、ブログで「あなたの理解は間違い」なんてしたり顔では語ってたりしないけどな。
ま、私は私、彼(彼女?)は彼だから、私がそう考えるからと言って彼もそうすべきだとか、そんな理屈にもちこむつもりはさらさらないんだけどね。
それにしても、暇そうで良いですねとは思いますよ。
そんなところで自分の正しさを誇って何がしたいのかなとかね。
それに、彼の原理の理解が正しいかどうか、結局のところだれが責任を持って判断するの?
お父様とかいう人に聞きに行くのか?
彼の意見に反対する人だって、原理やお父様のみ言とやらをもって反論しているわけでしょ。
だからかつての律法学者やパリサイ人と同じだと何度いったr(ry
仮にジョリュジュ氏の理解が、神様が創造本年の世界で願われた由緒正しき原理やみ言の理解であったとしても、彼や彼のような人たちとは一緒にいたくないと思うよ。
心の底から。
こんな人たちが作る地上天国。。。
うへ。想像するだけで、吐き気がするけど。
UCブログ村にいる人たちはどう思うのだろう?
ブログ村にいる人たちで明日から同じ町内に住みなさいと言ったらうれしいですか?
そんなのでうれしいと心の底から思える人って、果たして何人いるんだろうな?
何かっちゃー、「君の原理のリカイガー」とか偉そうに語る隣人に、向こう三軒両隣の人たちの会話を回覧板に乗せては町内会に改めてご丁寧に伝えて歩く隣人に、得たいの知れない何かを語りつつ、結局何がしたいのかよくわからない隣人。あるいは町内で問題が起きたら、事実確認もしないまま、あそこの班長が他人のふりして下品な回覧板なんか回す訳ないとか断言してたのに、本人がゲロったら、以後気を付けますでおしまいの別の副班長。町内に問題が起きても我関せずな人たちなのに、自分達が世界の問題を解決すると豪語しながら、やっているのは本を読む事だけな文化部長。こんなのがぞろぞろと住んでいる統一町。
嫌だ嫌だ。私は絶対に嫌ですね。wwwwww ((((;゚Д゚)))ガクブル ですよ。ほんと。
改めて書いておきますが、本当に本当に、自らの正しさを誇って、何がしたいのでしょうね?