KIB: kurogane in black

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家庭連合(旧統一教会)信者の大多数に愛なんかあるものか - 結局、洗脳されているのと何がどう違うの?

まずは、熊本地震で大変な毎日を過ごしておられる皆様に、一日も早く落ち着いた生活が取り戻されますように、切に願っております。

わずかではございますが、しかるべき先に義捐金の寄付をさせて頂きましたが、何よりもまずは生活環境が落ち着きますように。熊本、福岡、長崎にはそれぞれ知人がいます。彼らの無事も願いつつ。。。


さて。ということで本題です。

UC関連のニュースソースとしては非常に価値がある米本さんのブログ

米本さんはこの界隈(統一教会関連)ではまともな訓練を受けてきたジャーナリストとして活躍してきた人の一人(もしかしたら唯一かもしれないぐらい)であるとは思っている。

しかし毎度毎度の事で申し訳ないが、残念なことに、米本さんがあれだけ膨大な時間を使って統一教会問題、もとい家庭連合問題を追いかけながら、彼らの本質に迫りきれていないという印象は、いつまでたっても拭いされない状況が続いている。

これまでも私のところでは米本さんはちゃんと分かってないのではないか?と指摘してきた。

kib.hateblo.jp

kib.hateblo.jp

 

それでも米本さんは、以下のような新しい記事を投稿されておられるが、これを読んでもその印象が変わることはない。

金が集まれば集まるほど教勢が低下していくパラドックス

この記事に次の表現がある。

<以下、引用>
仰天すべき事実なのだが、日本の最高責任者が1年前に報告したにもかかわらず、組織(本部&教会長たち)は沈黙したまま。「いつも私のとなりに神さま」や「教育部長の講義日誌」などの教団職員も沈黙。こっちのほうがもっと驚く。
<引用終了>


いや。あの。。。。

。。。。だからさ。

家庭連合(旧統一教会)の教えを受けた人たちに、各個々人が憲法に根差した人権意識があるわけでもなければ、博愛精神に満ちた姿勢があるわけでもない。

昔、野村健二さんだったかが書いた、幸せってなんだろうにうたわれた歌がすべてを物語っている。

「幸せってなんだろう 星にたずねてみた
 みんな仲良くすることさ 星は答えた
 大きなお日さま中にして 九つの星が回る
 愛の光を受けながら
 これが幸せ」

みんな仲良くすること=太陽(文鮮明)を中心に星が回ること。

火星が木星の事を心配したり、水星が海王星の事を心配して近寄ったりしたら太陽系が壊れてしまう。

たまたま原子の構造も太陽系の構造も似ていて、だからこれは神の創造物だというのは良いのだが、それを組織論にまで展開してしまった。地球上に住むあらゆる生物は、原子モデル太陽系モデルよりももっと複雑な相互作用を繰り返してその生活を営んでいるわけだが、そんな複雑系のモデルを持ち込むと教義が破たんする。

なので、太陽を中心に太陽系の惑星が回るように、原子核の周りを電子がまわるように、組織もかくあるべし、ということを徹底してきたのが日本統一教会だ。

いや、それなら太陽さんが、問題があると言ったらそれに向かって動くのではないか?というと、そうは問屋が卸さない。水星が軌道を外れて地球のところに様子を見に来たりできないのは、物理的な力学関係でしか動きが取れないだけだが、日本の食口の心理には、厳密な行動の原則が刻み込まれており、それを外れては動けない。

末端の食口が唯一、動くのは、中心者と名のつく人から、次の一連の語句が並んだ命令として下された時ぐらいなんだと思いますよ。

「これは摂理です。
 お父様・お母様がこれこれを願っておられます。
 (たいていは箱もの。ビルとか飛行機とか、なんかそれらしいもの)
 だから、あなたはいまから40日以内に、〇〇円の献金に勝利しなければなりません。」


これ以外は、全く動かない。これが日本の食口が動くことができる「物理法則」と言っても良い。

そして、日夜、祈祷会では

 

「ご父母様、
 今、あなた様が願っておられる〇〇を必ずや勝利して差し上げるために、不足な私にどうか精誠を尽くさせてくださいませ。」


といったお祈りが続けられる。

きっと、食口経験者なら「あるある」と納得することだろう。

だから、韓国人の幹部が「食口の25%に経済問題がある」とだけ言われても、そこには「お父様」も「ご父母様」もないし、大多数の食口はそれで何をして良いか皆目、検討もつかない。

そんな風に動く「物理法則」は彼らの中にはないからだ。

中心から言われてもいないことを、皆で相談してなんとかしよう、というのは「横的なつながりを、縦的なつながりよりも重要視しているので、サタンが入る」という謎理論で排除されてしまうので、展開されることもない。

いや。もし仮に、中心者が「食口の経済問題をなんとかしましょう」と説教で語ったとしても、だから何日以内にいくらの献金をしたらよいのか?というところまで具体的な指示になっていないので、食口には行動のしようがない。


あるいは、たまに多少はまともな食口がいたとして、それじゃあ、なんとかしましょうと動き出したとしよう。

それで、過酷な献金がそれらの食口の経済問題をおこさせる原因なので、そういう食口には献金の減免をしましょう!などと言い始めるだろうか?

外部の人間がどう思うか知らないけれども、そんな夢物語のような話が通用するはずがないのは食口および食口経験者ならだれもが良く分かっているはずだ。

たとえば、どこかの教会に100人の食口がいたとする。
丁度、そのうちの25人が経済的問題を抱えていたとしよう。

そして、ここの教会長が、「食口の経済問題が課題です」と語ったとして、それを聞いた100人の教会員が、「それでは、その貧しい25人の献金は免除してあげましょう」と言ったらどうなるのか?

当たり前だが、経済貧困層献金を減免したら、その分、その教会の目標である献金額が引き下げられるわけではないのだから、誰かが献金しなければ、その分を他の食口がかぶることになる。

であれば、「貧しい食口の献金を減免しましょう!」と誰かが言ったら、他の人たちは、「減免した分をあなたが埋めてくれるのなら構いません」と言うに違いない。

しかし、そもそもその25人の貧しい食口以外の75人だって余裕のある生活をしているわけではないから、他人の献金分を背負ってまで、献金の減免措置を訴えることもない。

なので、結局、他の人の経済問題解決はその教会の具体的な目標として設定される事もなく、あらためて「ご父母様が願っておられる〇〇勝利のために、いくらの献金を頑張ろう」という安易なところに流れざるを得ない。

というか、そもそも献金を減免しますよ、などと言っていたら、献金が達成できないことを上部から激しく追及されるので、教会長自身もそれどころでないだろうし、本気で取り組むはずもないが。

これは、それぞれの食口がなんとなくそういう空気の中で流されてしまう結果でもあり、教会長もしかたなくそうなってしまうという話ではあるのだが。。。

これを一歩引いて、外から眺めた時、結局、幹部から「献金しろ」という以外の命令には従えなくなってしまった、悲しい食口の姿でしかない。

そして、それを外部の人が「やっぱり洗脳されている」と言ったとして、統一教会側では反論ができるのだろうか?

中心から、「いつまでにいくら献金」という指示がなければ何もできない、その唯一の物理法則にしか従えない人たちが、「僕らは自由に思考し、自分で判断しているのです」という主張が、この世の人たちから納得してもらえる可能性はあるのだろうか?


もし反論できると本気で思っている人がいるなら、それを証明してもらいたい。

過酷な献金路程(笑)の中で、経済的貧困者には献金の減免措置を、全国で、いやせめて教会単位でも良いが、それをやってみてもらいたい。

そして、その取り組みをブログででも良いので報告してもらえたら、その点については受け入れようではないか?

非常に非常に残念なことだけれども、すでに本投稿の前半部で書いた通り、そんなことができるはずがない。

結局、外部から見て、家庭連合(旧統一教会)の人たちは洗脳されていると言われても仕方がない、という状況に対して、食口の側には有効な反論の手段はほとんどないと思われる。

せいぜい、精神学会ではマインドコントロールは否定されているとか、外部の理屈を持ってくることぐらいだろうが、ことはそういう理屈・理論の話ではない。

客観的に君ら統一食口の姿を外部から見たときにどのように見えるのか?君ら統一食口の姿こそ、洗脳されている状態と言えるのではないか?

このような指摘に対して、自分たちは洗脳されているのではない、ということを明示的に示す行動をとれない、というどうにもならない現実が突きつけられてしまっている、という点にある。

君ら統一食口が、仮にも「いや、洗脳されていません。」というなら、君らが家族=食口と呼ぶ人たちが拉致監禁されていることについて、なぜ積極的に働きかけをしていないのか?(最近、解放されてしまったらしい石橋さんのケースが良い事例になるだろう)
君らが家族=食口と呼ぶ人たちが抱えている経済的問題について、なぜそこまで無関心なのか?

これらについて、回答を示す必要がある。

回答とは、「心情の世界では、毎日彼らのためにお祈りしています」などという、屁の役にも立たない事ではない。

祈りで経済問題が解決するなら、とっくに解決しているだろう。

祈りで献金が勝利できるなら、すでにとっくに勝利は済んでおり、地上天国が実現していてしかるべきなのだ。

そうでないからこその現在の状況なわけだ。

だから、ここで回答を示すつもりがあるなら、それらの経済的な問題を抱えている人たちに対して具体的に何をしたのか?

そして、そもそもそういう環境の中で、今後の家庭連合(旧統一教会)の経済体制はどうするのかも合わせて取り組みが進んでいなければ意味がない。


この後者が、旧統一教会にとっては大問題であるのは、食口・元食口、あるいはこの問題に多少知見のある人であれば明らかだろう。
まずしい家庭のために、いくばくかの配慮なり減免がとられるだけでは回答にならない。

結局、減免した分をどこから調達するのか?

そこまでして献金を必達にしてでもやり遂げるべき活動とは何か?

その活動を通して、旧統一教会は何をするのか?

という、非常に基本的かつ重要な問題と真正面から向かい合わないといけない。

しかし、そこには大きな壁がある。


さて。

改めて聞いてみましょう。

統一教会の人たちは、自分たちの行いを冷静に振り返って、「自分達は洗脳されていると言われても仕方ない」状況に、明示的な反論を提示できるのか?

それを示すつもりなら、なぜ経済問題を解決できないのかも合わせて答える必要がありますし、さらにそこまでして献金をして何がしたいのか、それこそ「合目的的」に説明する必要があります。

私が食口であったときに同じ質問をされたら、相当しんどいと思いますけどね。私が現役であった時には、まだそれらしい活動がないわけじゃなかった。それが今の支離滅裂状況でやらされる皆さんには同情申し上げます。