KIB: kurogane in black

Yahoo!ブログ閉鎖に伴い移動しました。

さらば、統一教会よ!

このタイトルは、実は米本さんの最近の記事と同じものを利用している。

 

yonemoto.blog63.fc2.com

記事自体はとても短いが、これからも続くらしい。

韓女史が6年かけて独裁体制を確立したことを受けて、実はたいした政治家だと評価している、というのが非常に雑なまとめ方の骨子だと思うが、今回取り上げたのは記事の内容ではない。

 

この韓女史の政治的能力を小池百合子などに比肩したことについて、神々の黄昏氏がコメント欄でかみついていて、米本さんと根本的な対立関係に陥ろうとしている様子がうかがえる。

 

そして、そこに米本氏のブログの愛読者が乗りかかり気味といえばよいのかな?

 

私はそもそも神々の黄昏なんて、まったくもって嫌な奴だぐらいにしか思っていなかったので、あんなのとお付き合いしている米本さんって、すげーなと思ってたが、やっぱりあかんよね。

 

神々の黄昏氏、きっと賢いんだと思いますよ。頭はね。

 

でも、それで?

 

他人を低能だの、なんだのと罵れるような人間とは仲良くしたいとは思わないし、こいつの理想がどんなものかしらないけども、こいつが作ろうとする理想社会に一緒に住みたいとも思わない。

 

そういう意味では、統一教会の人たちが作ろうとしている社会には住みたくないというのと同じレベルで、神々の黄昏の理想も、第三者である私から見れば等距離に社会から乖離していると思うだけ。

 

非常に賢い学者の先生が、知力に劣る学生を罵ることはあるだろう。それがよいか悪いかとか、「アカハラ」に該当していないか?といった問題はあるのかもしれないけれども。その一線を越えていないのであれば、学問の世界で生きるとは、そもそもそういう世界での人世を意味するのだから、知力が劣っているなら学問の世界で低い評価を受けることも仕方あるまい。

 

では、神々の黄昏が活躍するこのネット界隈(といっても、コップの中ぐらいの広さでしかないだろうが)は、そういった学問の世界と等価な世界なのだろうか?

 

統一原理や統一教会に入ったのがそういう「趣味の世界」だったというのなら、まああるかもね。統一教会の幹部の中でも李相憲先生みたいに緻密な論理を組み立てることに喜びを感じる人もいたので、同じような趣向で引かれたのなら、仕方ない面もあるかもしれないし。

 

でも、それでは統一原理を受け入れて、たしか神々の黄昏氏は祝福までいったように記憶していたが、それはなんのためだったのか?

無知で低能な統一食口よりも優秀であることを誇るためだったのか?

 

また、彼は今や統一原理の過ち/誤りを悟って、より高度ななんとかを知った立場から高所・高説を述べられているらしいけれども、それはなんのためなんだろう?

 

それがなんであったにせよ、彼の言動を見て彼の獲得した「より高い知見」を得てみたいなと思える読者ってどれくらいいるのだろうか?

 

・・・とつらつらと神々の黄昏をネタにここまでひっぱって書いてきたが、神々の黄昏だけがダメダメなんじゃなく、結局統一教会にはクソな理屈と現世利益にとことんこだわったダメな教祖に群がる裸の王様のおこぼれを期待するだけの幹部と、そんな幹部にただひたすら従うだけの世界を救う勇者とは程遠い乞食みたいな民を作って、あげくの果てに日本から韓国の農村に嫁がせただけという、もうなんの救いもないようなところに落ちて行ってしまってるよねと。

 

そんな肥溜めみたな理屈が間違っていると薫風そよぐつもりで語ってみたところで、どうせたいしたことは言ってない。

 

私も、たまたま「くっそ、なんだこの肥溜め!」と思って抜け出しはしたものの、体の垢とは違って10年以上もそんな中で泳いでいた思考の垢は簡単にはきれいにはならないことは良く良く承知している。

 

後世には、せめて少しでも汚物をきれいにしてからこの夜を去りたいと思うだけ。

 

どこかの教祖やその家族のように、いつまでも見苦しい闘争を、日本人を奴隷の様にこき使いながら宗教者の顔をしていられるのはスゲーなとは思うが、そんな人たちにあこがれもしなければ、関わりたくもない。

 

関わりたくないなら、ネットで情報を見たりもするなという現役信者がいたりするが、現役信者たちは相も変わらず、こちら側の世界に忍び寄ってきてはいまだに謀略を巡らしているのであれば、自分を含めての防御として情報を入手しておく必要はあるし、たまには思ったことをつぶやいたりもするだろう。

 

そんな意味も含め、あらためて。。。

 

「さらば、統一教会よ!」