ルークさんが新しいブログを始めた。
かつて、投げかけられた質問には答えていなかったと思うけど、あっちは放置したままなのかな。古いのを探すのが面倒になるほど、どこなのか分からんけど。
で、新たに始めたブログだが、舞台裏だかなんだか知らないけど、本当にこの人の書くのはつまらない。
つまらないだけなら、顎が外れそうな人がもっとたくさんいるけども。
責任者が選挙で選ばれて、足を(文字通りに)洗いましたとか書いているけど、UCの人たちに聞きたい。
これに何か意味があるのかを。
儀式として、特にアメリカのような国では、靴を人前で脱いでもらって、その足をあらうということには価値がないとは言わない。
しかしというかさ。
なんか、そんなことを舞台裏からのレポートとして書く内容か?
何のために、責任者を選挙で選ぶのか、選んだ人はほかの国ではどうするのか、任期はあるのかないのか、再選の有無は、もし選んだ人が『佐賀の聖殿建設についての問題を指摘したブログ、「目安箱」』みたいなことをしてしまったらどうするのか、などなど、本来語るべきことはいっぱいあるはずだが。。。。
まあ、ないんだろうな。
イエス様が弟子の足を洗ったという事例をまねたら、何かやったような気分になっているのだろうけどもさ。
あるいは、それを自分の教区でも実施しようとして、自分の預かった教会員一人ひとりの足を洗い出すとか。それをやるなと言わないし、やることの意味がないわけじゃない。
しかし、それは本質的な問題ではないでしょう?
UCという団体はこれから他人様の足を一生懸命をあらう活動にまい進するんなら知らんけどさ。
もともと掲げていた看板をどのように実現するか、その過程、プロセスにおいて、この儀式がどういう意味があるのか、また選挙で選ぶことで何がどう変わるのか、とかさ。
そういうことを、誰もが読みやすく伝えるということには関心はないのか。
これでも責任者の端くれなんだろう?
UCという団体が、この世に存在する意味なり価値を表すために何をしなければならないか。
アメリカのUCが不倫問題で揺れる中、まずアメリカUCとしてどうするのか。
その内容はほかの国でも適用されるのかどうか。
なんか、こういうことを放置したまま、足を一生懸命あらうことで、「不倫問題に触れること」から足を洗いたいのかなとか勘ぐってしまうのだがな。
それからもう一つ。
教育部長?どっちだっけな?
孫正義が修練会に参加してお金の勉強していることについて書いた人がいた。
そして、今後こういう人がUCからもっと輩出されなければならないとか書いていたけど、勇気があるよな。
教会のカネすらまともに管理できずに、ダダモレな組織にいる人間が、お金の本質について考えて世の中に指導するとか、夢を語るにしたって程があるだろうと思うのですけどね。
まずは自分たちの教会が、つましい献金でも十分回るような体制を築いてから、そんな発言をするべきではないでしょうか?
仮にも「部長」などという管理職の肩書をもっている人間として、お金の管理はどうするように教育するとかないのでしょうかね?
いまだに「献金を捧げる時には、それがどう使われようともかまわないという心で捧げるもの。捧げた献金がどう使われようとも文句を言ってはならない」とかいう人もいる。
確かに、献金を捧げる側としての意識はそれが正しいとは思いますよ。
しかし、その献金を預かる側は、善良なる管理者の義務があるはずで、他人様からあずかったお金を、その人が捧げた気持ちを掬い取って使う責任もあるだろう。
信者は末端として、それを追及したりするのはよくないとしても、少なくとも教育部長とか、教会長、本部といった「管理者側」にはその責任はあるはず。
同じ「責任者」であれば、他の責任者(たとえ韓国人であろうとも)が不正な献金の使用をしているなら、それをとめるべき責任も義務も権利もあるだろう。
少なくともその責任について、きちんとした申し開きなり、説明をするべき責任も義務もあるのが「長」たるものの務めと思っているが、この考え方はサタンによるといって断罪するつもりなのだろうか?
最低限、その程度のこともしていない団体の人間が、「お金の本質について世の中を指導できる人を輩出」ぅ?
もうさ。
文章を書いているだけで、「ダメダメ」感に包まれません?
石田純一が「純潔ノススメ」なんて本を書いたら買いますか?買わないでしょ。
岡田以蔵が「活人剣とは」なんて本を書いたら買いますか?買わないでしょ。
どうしてアメリカの責任者をしていたご子女様が辞任したか?アメリカで問題になったか?
純潔を説く団体の責任者としてふさわしくなかったからでしょう?
それなら、この世で一番お金にだらしがない組織のUCが「お金の本質」について、世の中の人を指導したら人が聞いてくれますか?聞いてくれるわけないでしょ?
え?この世でお金に一番だらしがないのがUCとは言えないって?
いや言えます。ほかの組織なら、ここまでお金にだらしなければとっくに破産したり倒産している。
それを、新しい日本人信者を集めてきてはお金をむしり取ることで生き延びているわけだ。こんな組織は世界広しと言えどもUC以外にはありえません。UCこそ、お金にだらしない組織のチャンピオンです。
なんでUCの人たちは、そういうことを平気で、お酒も飲まず素面のまま、公衆の面前でやってしまうのか、本当に本当に本当に不思議でしょうがないのですよ。
夢で孫正義を見たのは、仕方がない。それまで止めることは誰にもできませんからね。
しかし、そこで「お金の本質を考え、指導できる人をUCから出そう」なんてことは、せめてきちんとお金の管理を最低限度には管理できるようになってから言うべきことで、今の状況ではとても恥ずかしくてそんなことは言えないと思うのですよ。
少なくとも私はそうです。
清平の例のあの女性が、「もし問題を起こしていたら、この場に立っていない。(だから無実だ)」みたいな弁解をしているとミセス・キムが言っていました。
そんなの口だけならいくらでも言える。
本当にそうなら、外部の会計士の査察でもなんでも、なんどでも食口が納得するまで、徹底的に、毎年でも四半期ごとでもすべて受け入れてから言ってほしいですけどね。
そこまでこの部長が責任もって取り組むつもりで「お金の本質について」語るなら、多少は耳を傾けるかもしれませんけども。
アメリカのルーク氏にしても、日本のどこかの部長さんにしても、他の食口も、甘すぎ。
こんな馬鹿過ぎな発言を許しておく本部なんか、もうなんと言っていいのか、まともな組織運営も管理もできてないでしょ。
これでUCの活動を受け入れてもらおうと考えられることが奇跡に近い。
ねえ。
これ、とても「真剣に取り組んでいる」人たちの姿勢じゃないですよ。
ままごと遊びならわからんではない。どうせ6時ごろにママが迎えにきたら終わるんだしさ。
それにしたって、大の大人がやることじゃないだろ。
なあ。
少しは恥ずかしいと思ったり、もうちょっと考えようとかしないの?
君たちが神様の名前を語るたびに、君たちの神様の価値が暴落することも知っておくべきだと思いますが。
もちろん、君たちが語る「真の父母様」とやらの価値もね。
そして、君たちの姿を通して判断させる真の父母とは、しょせんこの程度かと言われても仕方ないことを君たちは一生懸命やっているのですよ。
酷いという単語でも甘すぎると思います。
面の皮の厚さだけは間違いなく一人前なのは認めます。