KIB: kurogane in black

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「使命」の放棄

米本さんのブログで、鸞鳳さんが別辞を寄せている。

米本さんにはどうせ言っても通じないので、言いたいことは一杯あるがやめたということと、鸞鳳としての活動は失敗だったという二点だ。

鸞鳳さんに限らないのだけれども、「伝えたいことがあるが伝えられない」というのは、UCに限って言うならば、言行不一致があまりにも激しすぎるからだ。

「旧約時代は行義、新約時代は信義、成約時代は侍義」なので、「侍ることで義とされる時代なのだから、つべこべ言わずに真のご父母さまに侍ろ」とか言うのだろうか?


そんなのは「信者になった人」向けなら、まあ通じないこともないかもしれない。

けれども、信者でない人には、自らの語る言葉と行いとの正しさをもって、相手に受け入れてもらう以外に道はないでしょう。

「どうして俺のいう事を理解しないのか」と信者達が言うのと同じく、UCに反対する人たちからすれば「どうして私達が反対する理由が理解できないのか」と思っているわけだし。

で、「UC反対派が先にあって、UCが存在する」なんてことはありえない以上、「UCの正しさはUC自らが証明する」以外には、UCへの反対がなくなったり、UCが受け入れてもらえる道はない。


UCに反対している人、神を信じない人が、信者のいう事を受け入れない、信じないから、それじゃあお別れですねというのはご自由に、ではあるのだけれども、それは結局のところ、自らの使命を放棄しているということだ。

清平の金さんにしろ、UCにしろ、「私が間違っているなら、この場にいない」なんて言葉だけでは到底信じられないことばかりなのですよ。

それを信じてもらうために必要なことがあるでしょう。

お金について疑われていて、「なんのやましいところがない」というなら、入ってきたお金がいくらで、どこにどう使ったのかを示せばよい。

やましくないのだから、公開することになんの問題もないはず。
それをやらない以上、「やっぱり疚しいところがあるのだ」と思われても仕方がない。

また、お父様がここに来ていることを証明できない以上、騙りと言われても仕方がない。


本当に霊通しているのなら、それを証明する方法はいくらでもあるが、それをやらないのも、「霊能力は実はないのだ」と言われても仕方ない。


これらは全て、UCや清平の側にボールがある。

米本氏もそうだし、われわれのような元信者、反対派やありとあらゆる一般の人にとって、「疑わしい」のは事実なのだから、その疑いを晴らすのはUCの側なのだ。


それを明らかにすることなく「言いたいことはあるが通じないのでここでお別れです」と言うなら、別の場所で「全人類が兄弟姉妹として。。。」とか語るなよ。

いったいどういう精神構造をしていたら、こんな矛盾したことを平気で語れるのか、私には到底理解できない。



こんな意味不明なことを、どのようにして、全人類が信じるようになると「信じて」いるのか、UCの信者の使命として明らかにしてもらえないだろうか?



できるんなら、とっくにやってるんだろうけど。

少なくとも、できるならとっくにやっている=実はできないという事は、受け入れるべきではないでしょうか?