KIB: kurogane in black

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馬に水を飲ませることは出来ない 2

先日書いた「馬を水辺に連れて行くことは出来ても、馬に水を飲ませることは出来ない」を、元信者の立場から現役信者を眺めた記事を見つけた。

ブログの管理者はyongさん。


彼女のスピリチュアル系の発言には、自分と主張があわない部分もないではない。

しかし、彼女のユーモア感覚に包みながらUCの問題を指摘するやり方は「いつも私の隣に献金FAX」のgoutさんと双璧をなす。


今回の記事に、次のような文章が書いてあった。

<引用開始>
結局元信者の私たちがいくら力になりたい、助けてあげたい、そんな悲惨な状態でいいわけがない、

そういうふうに思ったとしても、本人にその意思がなければ、手出しもできなければ、大きなお世話と言う事になりかねない。

<引用終了>


これは全くその通りだと思う。自分が現役信者であった時のことを思い返してみても、親が何を言おうが、友達が手を差し伸べようが、周囲がお前のためだと言おうが、みんな大きなお世話で、逆にお前達の方が真実を知らないからだと思い込んでいたし。

実際、元信者になってからは何人かと「元信者グループ」みたいな感じになって、統一教会の現役信者とも盛んに論争したこともあった。

でも、議論で問題が解決することはないし、現役信者が議論を通じて考え直すことなどないことに気がついた。


そもそも議論という方法自体、お互いが同じ目標に向かって議論するのでなければ、お互いの主張がかみ合うはずがないものだ。

UCの人たちは、嘘をついてでもいいから自分達の主張を受け入れてもらいたいと思っている。
反対している人は嘘はよくないし、そもそも統一教会の主張がおかしいと主張している。

この両者に、意見の一致を見る点が存在しうるはずが無い。


このことに思い至って、統一教会が「文句を言うなら統一原理以上の理論を提示せよ」という主張が、統一教会自体の無責任な発言であり、反対派にとっては相手にする価値すらないものであることに気がついた。

反対派には統一教会を世の中に受け入れてもらうための目的はないのだし、そのために活動しているわけではないのだから。

それは、全く持って統一教会の側が自分達の行いを通じて世の中に問うべき内容であり、反対派に代案を求めること自体がおかしい。



これは反対派の側の視点でみた結果である。

同じように統一教会の側の視点に立てば、自分達の主張を嘘をついてでも広めようとしている人たちが、反対派の主張する「いい加減な嘘をつくのをやめろ」とか「統一原理はでたらめだ」という主張に耳を傾けることもない。

yongさんが書いたように、現役信者の側に「我々は間違っていたのではないだろうか?だとすれば何が間違っていたのか?」とか、「反対派の意見を聞かなければ」と思わない限りはどうにもならない。


馬を水辺に連れて行くことはできても、水は飲ませられない。