前にも一度、書きましたが、うちのブログで圧倒的なアクセスを集めていたのは、こちらの記事でした。
米本さんも「洗脳なんかはない。そんなのはまやかしの理屈だ。なぜなら入信するまでに自分の意志で離れた人がほとんどだから」とか、謎な理論を展開していましたが、問題はそうやって途中で自分の意志やその他の事情で離れることができずに残ってしまった人たちなわけです。
そして米本さんも信者とは会話ができない、信頼していたと思ったら上部からの命令で交流を制限されたみたいな人がいっぱいいるとか書いてました。
それって本人が「米本さんを親しい友人」と思っているといまいとにかかわらず、上部(教会用語ではアベル)の命令があれば、人間関係を断たなければならないと証明してしまっているわけですよね?
つまりはロボットのように書き込まれたプログラムのみに従って動く、という意味での洗脳ではないだけであって、「アベルの命令は個人の信頼関係(場合によってはこの世の法律)よりも優先される」という命令が書き込まれた、立派な洗脳状況だと思いますけどね。
違いますかね?
違うというなら、証明してください。できっこないけど。
というわけで、(少なくともうちのブログを訪問してくる)数多くの人たちの問題意識を刺激してきたのはこの投稿だったわけです。
明確に記録を取ってませんが、確か当時ざっと見たときで95%のアクセスがこの記事に集中していたように思います。
しかし、2021年6月13日に投稿したこちらの記事が、その後、なぜかアクセスがたくさん集まる様になります。
私としては、特段、すごいことを書いたつもりはなく、今まで書き続けてきた教会のありようをそのまま描写しただけですが、これまたうちを訪れる皆さんの問題意識を刺激したようで、統一教会は洗脳集団の記事に次ぐアクセスを誇るようになりました。
その事に気が付いたのが2021年10月1日。つい1か月前でした。
それで書いたのがこの記事。
この時に各検索エンジンからのアクセス状況を掛け合わせて計算してみて、ざっと四分の1がこの記事に来てるのか、前は95%が「統一教会=洗脳」の記事で占められていたから、だいぶ変動したな、と思っておりました。
それが今日、ふとアクセス数を見てみますと、なんとYahoo!からのアクセスの96%となっている!
というわけで、各検索エンジンからの記事へのアクセス状況を足し合わせると、「献金がなけりゃ平和な宗教か?」の記事へのアクセスはなんと52.11%。
過半数のアクセスがこちらの記事になっておりました。
うーん。
気持ちは分からなくもないんですけどね。
「日本は摂理(?)があって、献金をしなければならないから、風評被害が減らないが、元々は平和な宗教なんだ。だって団体名は世界平和統一家庭連合であって、平和な家庭を目指すのが教義だから」とか思ってるのかもしれませんが、冗談は休み休み言ってくださいってやつです。
団体名が何だろうが、そんなことが問題なんじゃない。
献金の有無にかかわらず、あなた方の団体は、この世に対してどのような活動をして、「平和な家庭をもたらす」としたら、それは具体的に何をすることなんですか?
という質問に端的に答えられるのか?ということです。
その答えに、必然的に献金やら礼拝、そのほかのもろもろの活動が結びつけられていますか?
そして、「風評被害があるので、団体名を名乗れない」などとうそぶくのではなく、献金をしてもらうなら、正々堂々とその活動目的を明示して献金してもらうことができるのでしょうか?
「平和な家庭」のモデルたるべき創始者の家族はどうなっていますか?
とてもじゃないけど、献金がなければ平和な宗教だなどと言えたものではない。
やれると思うならやってみたらよいでしょう。
「言うだけならタダ」の精神で特攻するなら自分ひとりでやってください。そんなものに付き合う暇はない。
自分が言ったことで、創始者家族の問題から、普段の行いやら献金の方法から使い道まで、正々堂々と説明できないなら、チラシの裏にでも書いとけってことです。
創始者家族に手出しできない?
知っとるわ、そんなもの。
じゃあ、ハナから無理って自分で認めるわけですね、以上おしまい。
ということで、何をどうしたって君らが平和な宗教なのだっていうのは、矛盾も甚だしい主張だっていうことです。
もし、これら「献金がなければ平和な宗教?」の記事を読みに来てるのが信者の皆さんなら、そんなことしてる間に、そろそろやめる算段でもした方が良いんじゃないでしょうかと申し上げておきます。